首里城の壁紙写真その2では、正殿初め、北殿、南殿などの首里城の御庭(うなー)や主要施設を紹介します。 首里城はかつての琉球王国の政治・行政を執り行う中心施設であり、かつまた王宮の人々の生活の場でもありました。 琉球王国の組織は首里王府とも呼ばれ、国王を筆頭に摂政(せっせい)、三司官の首脳部、その下部組織に表十五人(おもてじゅうごにん)と呼ばれる各役所の代表が集まる組織があり、 行政を取り仕切っていました。江戸幕府で言う大奥にあたる王妃を頂点とした女官組織もあり、また神女(しんじょ)と呼ばれる女性たちが京の内(けおのうち)などの聖域において盛んに祈りをささげていました。 琉球王国はその歴史において中国と日本の両方の国との交流を持ちながら王国を維持してゆくという大変な歴史もたどっています。 三山時代の1372年に中山王・察度が初めて中国(当時の明)に使者を送ってから始まった中国との交流は、その後約500年間続きました。 冊封といわれる琉球国王の即位式には中国から使者(冊封使)がやってきて、ここ首里城にて即位式が行われています。 これは形の上では大国である中国の支配下にあるように見えながらもそのおかげで中国との貿易や文化交流も盛んに行われ、 新たな技術や文明などの恩恵にあずかっています。 話がややこしくなってきたのは1609年に当時日本に江戸幕府が成立し、薩摩藩が琉球に侵攻して首里城を占拠したところから。 これによって琉球王国は中国の支配下の形を取りながらさらに日本の江戸幕府に統治されるというややこしい状態になります。 そしてとうとう明治時代に入って1879年に日本軍が琉球に侵攻し、琉球国王を強制的に東京へと移転させ、廃藩置県で ここを沖縄県としたことで日本の支配下に入り、琉球王国は約450年の歴史の幕を下ろすことになります。 ただその後も第二次世界大戦の沖縄戦で日本軍が敗走すると、今度はアメリカ領となり、1972年に日本に返還されるまでの間、 アメリカに統治されるということになります。 1945年の太平洋戦争沖縄戦でことごとく破壊された首里城は、ようやく1980年代から再建に着手することになります。 首里城は非常に多くの歴史的なその転換期をこの場所で見てきたということが言えると思います。 なお首里城は、琉球王国のグスク及び関連遺産群として2000年の12月に世界遺産に登録されているのですが、 残念ながら登録されているのは「首里城跡」で、再建された現在の建物や城壁は世界遺産には含まれていないそうです。 守礼門もそうですが、再建された新しい建築物には復元されたといっても歴史的価値はないということなのでしょうか? 数奇な運命をたどった首里城とその歴史の中で、この復元もまた後世から見るとひとつの歴史の流れと言えると思うのですが。
