守礼門(守礼の門)・園比屋武御嶽石門

守礼門(しゅれいもん)と園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の壁紙写真です。 守礼門(守礼の門)は正式名称を「上の綾門」(うぃーぬあいじょう)といい、 首里城公園内にある門で、当然首里城の一部です。 沖縄観光の際に守礼門(守礼の門)が首里城では特に有名で、首里城と同じくらいの知名度を誇っていますが、 実際のところは首里城の城郭を構成している門のひとつで、特別なものでもありません。ただ守礼門がここまで有名な背景には 首里城入り口に最も近いところにあるということや、かつてはこの門が国宝に指定(1933年)されていたこと、門のデザインがいかにも沖縄らしい雰囲気を持っている といったことがあるのでしょう。そんな守礼門ですが歴史は古く、琉球王朝時代の第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)の時代(1527〜1555年)に創建されたといわれていますが、 正式な創建年度は不明なようです。日本で言うと室町時代にあたる年代の創建です。守礼門の通称は6代尚永王(1573〜1588)の時代に門にかけられてある扁額と呼ばれる額に「守禮之邦」(しゅれいのくに) と書かれたことから来ています。またこの言葉は琉球王国は礼節を重んずる国であるという意味を持っているそうです。別にここに守礼さんが常時待機していたからということではないようです。 また「守禮之邦」(しゅれいのくに)の言葉は時の中国(明・ミン)皇帝であった万暦帝(ばんれきてい)からの親書で、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」とお褒めの言葉を頂いたことによるもので、小国であった沖縄の琉球王朝が 大国である中国との関係に非常に気を使っていた様子を伺い知ることも出来るような気がします。 なお守礼門は1945年3月26日〜6月23日の間の太平洋戦争・沖縄戦で首里城地下壕に本部を置いた日本軍と沖縄に上陸した米軍との戦闘時に破壊されてしまい、現存する守礼門は1958年に再建されたもので、 太平洋戦争によって破壊された首里城の遺構の復元時に最初に復元されました。

世界遺産でもある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は首里城入り口手前にある、琉球石灰岩で出来ている建造物です。 石門の奥にある森が園比屋武御嶽と呼ばれている琉球王朝で最も重要視される神聖な場所で、王家尚氏所縁の伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」をお祀りしている園比屋武御嶽にある門で、園比屋武御嶽入り口を指していますが、 実際には門としての機能はなく、神聖な場所への礼拝所的役割を持っています。ここはは琉球王が城出て諸国を巡視する際に旅の安全を祈願したといわれるところで、 国の重要文化財にも指定されています。創建は第二尚氏3代尚真王の時代の1519年に西塘という人が創建したといわれています。 沖縄戦でかなりのダメージを被りましたが、1957年に現在の形に復元されています。 また2000年には首里城などとともにユネスコの世界文化遺産に琉球王国のグスク及び関連遺産群として登録されています。
守礼門(守礼の門)
守礼門(守礼の門)
守礼門(守礼の門)
守礼門(守礼の門)
守礼門(守礼の門)裏側から
守礼門(守礼の門)裏側から
守礼門(守礼の門)と青空
守礼門(守礼の門)と青空
園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門
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撮影地 首里城公園(沖縄県那覇市首里金城町) 撮影日2007年7月2日
撮影カメラ EOS 5D タムロン 28-300mm 家族撮影分


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