曼殊院は代々格式の高い親王級の皇族が住職を勤めていたことから曼殊院門跡とも呼ばれています。 曼殊院の庭園は額縁庭園でもあり、書院の奥から襖越しに庭園を眺めると、 まるで額縁に入っているような錯覚さえ覚えます。今回は新緑の頃の庭園を壁紙写真にしてみました。 曼殊院門跡はもともとは比叡山にて天台宗の最澄(伝教大師)が奈良時代〜平安時代初期の延暦年間(728年〜806年)頃に開いた小寺院が始まりとされ、 950年ごろ是算が比叡山の西塔北谷に場所を移して東尾坊と呼ばれるようになります。開基はこの是算国師と言われているようです。 またこの是算は菅原氏の出とされていて、菅原道真のいた北野天満宮とも深いつながりがあるそうで、 代々北野天満宮の別当にはここ曼殊院の住職が兼ねていたとも言われています。 当時東尾坊と呼ばれていたお寺が後の平安時代末期の1108年頃に忠尋僧正によって北山に移転し、名前を「曼殊院」と改められます。 ところが室町時代に入って足利義満の金閣寺造営のために再度移転させられることになります。 また室町時代末期の1495年頃に伏見貞常親王の息の慈運法親王が住職となり、ここから天台宗門跡寺院(天台五門跡)としての歴史が始まります。 その後江戸時代に入って1656年頃良尚法親王の時代に現在の場所に移転したのが現在の曼殊院なのだそうです。 本尊は阿弥陀如来像で、大書院内に安置されており、ここが本堂ともなっています。 又当時の文化人でもあった良尚法親王の意向が反映している書院造の建物は 落ち着いた佇まいを見せており、江戸初期を代表する書院造の建物となっています。 ここはまず勅使門が入り口となっていて、拝観料500円を払います。 もちろん京都の例に漏れず三脚は禁止です。 その後順路は大玄関を通って大書院・小書院へと続いてゆきます。 庭園はこの大書院と小書院の前に展開しているものですが、小堀遠州作といわれる遠州流の枯山水庭園となっており、 禅寺に良くあるような白砂を敷き詰めた枯山水庭園には樹齢400年とも言われる五葉松を鶴に見立て、鶴島とも呼んでいます。 また質素な禅寺の枯山水に比べるとより華やかさを加えたようなつくりともなっているような感じです。 大書院にある欄間もまた特徴的で、月の字くずし・卍くずしなど隠れ文字があるそうで、よく見てみると面白いかも
額縁に見立てた曼殊院門跡枯山水庭園
曼殊院の小書院
大書院廊下と庭園
曼殊院庭園・鶴島と亀島 他
撮影日2005年5月17日
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