上高地の壁紙写真では、紅葉の頃に撮影した上高地の風景壁紙をお届けします。 上高地は長野県松本市にある梓川上流の景勝地で、標高1500m付近から信州の山岳を眺められるスポットとして 非常に人気があります。また上高地では大正4年の焼岳の噴火に伴い、大正池が出来ています。 大正池〜上高地の河童橋に至る梓川沿いの散策路は自然を満喫できる素晴らしいスポットです。 上高地はもともとは山岳信仰登山のできる一部の限られた修行僧や、 江戸時代の松本藩が役人小屋を徳本峠付近に建てて、地元の木こりだけが入山していたところでした。 1828年には槍ヶ岳を霊峰と仰いだ江戸時代の浄土宗の僧・播隆上人によって 初めて槍ヶ岳登山道が開かれたのが槍ヶ岳登山の最初と言われています。 その後明治時代に入って、明治政府が外国人技師を招いて登山の近代化を進める過程で 当時の外国人技師のひとりであったウィリアム・ガウランドが1877年(明治10年)に槍ヶ岳に登り、日本アルプスの名を付けました。 また現在でも大正池から上高地へ向かう散策道に碑がある英国人宣教師ウォルター・ウェストンもまた1896年(明治29年)槍ヶ岳登山をして、 その記録をイギリスに紹介したことで上高地の名前は一躍有名になりました。 この当時はかみこうちの名前は現在の上高地ではなく、神降地、神合地、神垣内、神河内と書いていたようです。 この名前の由来は穂高神社の祭神である穂高見命(ほたかみのみこと)が 奥穂高岳に天から舞い降りたとされる由緒からそう呼ばれるようになったものです。 つまり上高地ではなく神降地、神が降臨した神聖な場所というのがもともとの意味なのだと思われます。 まだまだ当時は現在のように道路の整備もされておらず、秘境の面影を残していたものと思われます。 1915年(大正4年)6月4日には焼岳の大噴火による山体崩壊で大規模な泥流が発生して梓川が堰き止められ、 わずか一夜にして大正池が誕生しています。 また1924年(大正13年)には釜トンネルが何と手掘りで掘り進められて開通しました。 このあたりから道路網が徐々に整備され、上高地へのアクセスも格段としやすくなっていったものと思われます。 また上高地は1929年(昭和4年)3月24日に国の名勝・天然記念物に指定され、 1934年(昭和9年)12月4日には中部山岳国立公園にも指定されました。 またその後1952年(昭和27年)3月29日には特別名勝特別天然記念物に格上げされています。
焼岳と大正池
田代池・岳沢の紅葉
上高地ウォーキング・河童橋
梓川と穂高連峰 他
撮影日2002年10月3日
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