2006年を最後に建て替えられる余部鉄橋の壁紙写真です。 餘部鉄橋(余部鉄橋)がついに90余年の歴史に幕を下ろすことが決定したようです。 余部鉄橋最後の雄姿をここにとどめておきます。 余部鉄橋は着工は明治42年(1909年)12月、完成は明治45年(1912年)3月 およそ2年の歳月と延べ約25万人の人夫の力で完成されました。 今年で92年目を迎える歴史がある余部鉄橋は全長310.59m、橋脚の地上からの高さは41.45mもあり、 その高さは実に15階建てのビルに匹敵します。 またこれだけの長さの橋梁をわずか11本の橋脚で支えています。 建設当時は東洋一の鉄橋といわれ、現存する現在においても日本最大のトレッスル式鉄橋です。 建設当時においてはこの余部鉄橋は山陰本線最大の難工事とされ、 鉄橋の開通をもってようやく山陰本線が全線開通する運びとなりました。 但馬のリアス式海岸に沿って走る山陰本線は 鎧駅と余部駅の間は弁天山と荒神山の間に流れる河川に沿って低くなっており、 また北を日本海に、三方を断崖と山に囲まれた陸の孤島とも言われた余部地区に列車を通す場合、 この区間はどうしても鉄橋を建設せざるを得ない状況だったと思われます。 ところがそんな余部鉄橋も架け替えの根本原因となった事故が起こります。 1986年(昭和61年)12月28日に起きたお座敷列車「みやび」転落事故からです。 この後運行基準が強化され、余部鉄橋は風速20mを超えると列車の運行が出来なくなります。 ところが余部付近の但馬海岸は季節風や強風が吹き抜けになる地形になっており、 運休する列車の本数は年平均して90本程度、多い年によっては年間200本以上にもなるようです。 また運休とならないまでも30分以上の遅延となる列車も300本を越えることもあるそうで、 これでは地元住民にとっても運行する鉄道会社にとっても非常に不便を強いられる事になります。 余部鉄橋架け替えの直接の原因はこの運休を減らして定時運行を確保するためと、老朽化した鉄橋を維持し切れないこと、 それらの理由が重なって日本一のトレッスル式鉄橋がとうとう姿を消してしまうことになったわけです。
在りし日の余部鉄橋の解体前の勇姿です。
